出会いは、長男が小学生の時野球の海外遠征で一緒になり
2,3度顔をあわせただけだった。
野球チームも違い、小学校も中学校も違い、偶然高校が一緒になり
息子が、○○くんと野球部で一緒だったよ〜と子供が再開したのだった。

ママたちは、親睦会のとき、もちろん知り合いが誰もいないと思っていたわけだし
私は、おもいっきり○○君のお母さんを探しました。
顔を見たら、すぐにわかり意気投合。

そこから、彼女とは息子たちの野球の試合を見たり
高校の文化祭も一緒に行けて、とても楽しかった。

そんな彼女が、3年生最後の夏の大会2週間前にめまいがして倒れたと聞いた。
そのときの彼女からのメールでは、脳梗塞なんだよ〜と言われ
ビックリしたのだった。

でも、1週間で退院しそのあともリハビリに励み、10月には
職場復帰をすると頑張っていた。
でも、思うように回復せず、仕事はやめてしまったと聞いていた。

秋からは、お互いに受験体制でもあり、メールも少なくなっていた。

でも、彼女の息子さんは、しっかり推薦を決め親孝行なのだ。
うちはなかなか学校も決められず、いつまでも結果を報告できなかった。

その間に、彼女の身体はどんどん元気をなくし
11月の終わりに、咳が止まらず病院での診断結果は、肺癌だったそうだ。

12月からがんセンターに入院
彼女の新たな戦いが始まったそうだ。

そこから、どれだけ苦しんだのか私にはまったくわからない。
野球部の部長のお母さんが、メルアド変更の連絡をしたら
私も頑張ってるけど、なかなかご飯も食べられない毎日です
と返事が2週間くらい前に来たそうだ。

20日に野球部の集まりがあり、彼女の話題もしたが
詳しいことは誰も知らなかった。

そして、その日の夜、訃報が届いてビックリしたのでした。
まだ若い、50代前半かな。

彼女は、とても明るい性格で私と二人でいると、目立つ存在になってしまう。
子供たちには、またあのばばぁかよ〜なんて…いや、楽しいコンビだったのだ。
彼女の息子さんも明るくて、練習が終わった部室で、
名前を呼び捨てにしながら、母のドジぶりをみんなに聞かせたり
してたので、みっちゃんを知らない人はいなかったと思う。

お通夜のあとに彼女に合わせてもらったが、帽子をかぶっていて
髪の毛は、全部なくなり、治療に苦しんだのだろうかと思いました。

たくさんの思い出がありすぎて、どうにも頭から離れません。
デジカメに、子供たちがマリンで練習試合をした時に
帰りにバレンタイン監督の銅像と一緒に写真を撮ったのが残ってました。

ほんの3ヶ月くらいであっという間に逝ってしまい、心残りも
たくさんあったことと思います。

こんなにも簡単に人間の死がやってくるのかと、考えさせられました。

みっちゃん 安らかに。

来世でも、また友達になりましょう。

   

コメント

メイ
メイ
2007年2月24日19:45

悲しいお知らせでしたね。

年を重ねると、嬉しいことも悲しいことも同じくらいあって、そのたびに一喜一憂して…そしてまたいつしか通常の日に戻って…。

息子さんの卒業式、入学式等、さぞ無念だったことでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。

ヒカル
ヒカル
2007年2月24日22:12

本当に辛い展開ですね。
子供さんのこれからのことが楽しみだったでしょう、どんなに無念だったかと考えるときついです。
私もご冥福お祈り致します。

こころ
こころ
2007年2月25日17:22

死ぬなんて考えてもみなかったことでした。
子供は、息子と同じ年の子が3番目で、上にお姉さんとお兄さんがいるんだけど、ご主人とは離婚しています。
いろんなことを考えると、ただただ悲しくて…
もう一度会いたかったと思いますが、たぶん死を覚悟していたと思われる彼女の気持ちは、どんなだったのだろう?
きっと、卒業式も彼女のことが思い出されて、たっぷり泣いてしまうだろう。
子供たちも頑張っているだろうし、私も頑張らなきゃ!
メイさん ヒカルさん ありがとう

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